下山後に見上げた穂高 |
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上高地〜涸沢〜奥穂高岳・涸沢岳 [山行記録] - ヤマレコ
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20160910 上高地~涸沢~奥穂高岳・涸沢岳

5月の蝶ヶ岳に来たとき、いつかテントを担いで来たい…と思ったのでした。こんなに早く実現するとは思わなかったけど。登山教室でいろいろ学び、歩荷訓練をし、先輩たちにたくさん話を聞けたからできたことだと思います。奥穂高という危険度の高い山に挑戦しようと思えたのも、ハードな沢登りで岩に対する恐怖心が少し克服できてきたこと、山での私をよく見ている先輩たちが「きっと行けるよ」と言ってくれたことが大きいです。危ないと思ったら止めてくれる方たちなので。穂高のDVDでイメージトレーニングもしました。軽い気持ちで行ってるわけじゃないんだよ…とやたら心配する両親に伝えたい(^-^;)
テントで地面を感じながら寝ると、本当に自然と一体になったような気がします。気持ちいいけれど、それと同時に恐ろしさも感じます。布一枚の中によく寝ているよなぁ、と冷静になると思ったりして。

それでいいんだと思います。畏れを忘れてはいけない。寝ている間にサンダルを片方持って行かれたりもしました。(たぶんキツネ…)
2日目に横尾を通過するとき、警備隊の方たちに呼び止められました。
「お一人ですか?どちらへ?」
「今日は涸沢まで、明日は奥穂へ登ります」
「奥穂高へのザイテングラートでは、今週既に3人死んでますので、決して無理はしないでください」
さらっとした会話でしたが、背筋がぞくっとしました。「今週、ですか?」と思わず聞き返しました。
涸沢に到着して、小屋の人に「今週、3人も亡くなったそうですね」と聞いたら、「さっきも1人亡くなって、ヘリが飛んできましたよ」と。
そういう場所なんですよね。否が応でも緊張感を保ち続けることになりました。
3日目に奥穂高岳と涸沢岳に登頂し、4日目は北穂高岳に登る予定でしたが、4日目は大雨。視界はまっ白。登ってる方たちもいましたが、私は潔くあきらめました。

山登りをしていると素晴らしい景色に出会うし、達成感も味わえて、清々しい気持ちになります。でも、今回の遠征はもうちょっと色々なことを考えさせられました。単純に楽しいだけではない、常に死が隣り合わせにあるということ。それは別に、山だけの話ではないんですけどね。それでも人は、山に来る。
なんで来てしまうのかな? しばらくは考えてしまいそうです。
帰宅してからザイテングラートの事故について調べましたが、亡くなられた3人はいずれもヘルメットをかぶっていなかったそうです。またお1人は死因が滑落後の低体温症だったそうです。装備の重要さがよく分かります。私は今回テント泊だったので、友だちに「ツェルトはいらないんじゃない?」と言われたのですが、登頂日はアタックザックで登るつもりだったので基本装備として持っていきました。使わなかったけれど、やはり持っていったのは正解かなと思います。
最初から、自分が死ぬと思って登ってる人なんていないんですよね。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。合掌。
横尾から先はずっと携帯(ソフトバンク)が圏外だったのですが、心配してメールをくれてる人がいたりして、下山途中にちょっと泣きそうになりました。何日も1人で過ごすと、こういうことのありがたさが身に沁みます。こんなふうに山登りができるという環境に感謝しつつ、また次の山を目指したいと思います。