私も思春期に「アンネの日記」を読んだけれど、小川さんの思い入れはものすごい。アンネをまるで自分の親友のように感じていて、彼女を知る生き延びた人々の話を聞くために旅をするのです。その記録の合間に、ところどころ「アンネの日記」も引用されています。
小川さんの目で見た隠れ家、アウシュビッツ、そして生き延びた人々の当時を語る言葉…どれもこれもが生々しく、何度も涙が出ました。「アンネの日記」は収容所に行く前に終わっていますから、この本にはその後の綴られなかった日々があります。
彼女が書き付けることを願いながらかなわなかった言葉たちの残像を、自分の肌で感じてみたいのだ。-「アンネ・フランクの記憶」より
「アンネの日記」を初めて読んだころに比べれば、様々な映画や本を通してナチスやアウシュビッツに関する私の知識も増えています。昨年はアウシュビッツでガイドを務める日本人の方のお話も聞きました。それだけに、ひとつひとつの描写がより鮮明に頭に浮かび、胸が締めつけられるのかもしれません。小川さんの抑制された筆致がまた素晴らしいのですが。
アウシュビッツ強制収容所の周りに規則正しく植えられたポプラの木々を見て、一瞬美しいと感じてしまった小川さんは自分自身の感情に戸惑い、そののちある種の不気味さを覚えます。
つまり彼らはポプラを狂いなく植えるのと同じ几帳面さで、人を殺していった。-「アンネ・フランクの記憶」より
アウシュビッツの収容所は今は博物館となっていますが、当時没収された眼鏡の山やトランク、刈り取られた髪の毛なども積み上げられたまま残されているとか。その描写もまた、胸に迫ってくるものがありました。
つらい描写もたくさんあり、読み続けるのもきついななどと思いながら、でもこれらは現実なんだ、と思い直す。すべて、私たちと同じ人間がやったこと。どうしてこんなことができたのだろう。理解の範疇をはるかに超えているけれど、この人たちが特別だったわけではなくて、人間は誰でもこういった闇に取り込まれる可能性がある。だからこそ恐ろしい。今まで何度も考えてきたことに、再び思いを馳せました。
人生には考えてもいなかったことが起こるし、事実は小説よりも奇なりとは本当によく言ったものだと最近はしみじみ思います。信じがたい災害や事故に直面することだってあるし、そんなとき豹変してしまう人間もたくさんいる。時代のせいだったり環境のせいだったり、人間はわりとたやすく変化する気がします。自らを省みても。
でも、闇と同時にもちろん光が存在する。アンネたちを支援した人々の一人、ミープさんの言葉です。
we are no heroes, we only did our human duty, helping people who need help.-「アンネ・フランクの記憶」より
当時、ユダヤ人を支援することがどれだけ危険なことだったのかを考えると、この言葉の重みを感じます。
こんな歴史は二度と繰り返してはいけないけれど、差別や紛争は今もさまざまな形で残っていて遠い記憶は次第に薄れていく。自分にできることなど何も浮かばなくとも、歴史の風化を防ぐためにはまず知らなければならないのだと、あらためて考えさせられた一冊でした。
広島大学旧理学部1号館 |