2014年7月13日日曜日

走ることについて語るとき

先日ネイティブの方から冠詞のお話を聞く機会がありました。頭では分かっているつもりでも、自分で英文を書くとなるとふと迷うことも多い冠詞。「こういうのって、ネイティブの方は全然迷ったりしないんですよね?」と聞いたら「Yes」。一方、「日本語で一番苦労するのはどんな点?」と聞いたら、「主語がないこと!」と即答。日本人はそんなことで苦労したりしないのよ、と胸を張りたいところですが、ああ分かる~と頷いてしまいました。

なぜこんなことを思い出したかというと、最近そんな原稿に悩まされたところだったから…。日本語では省略されがちな主語ではありますが、あまりにも省かれすぎると(特に不慣れな分野では)苦労します。でもこういうところが、機械翻訳には真似できない腕の見せどころですよね。完璧な日本語原稿ばかりになったら翻訳者の仕事は減っていくでしょうから。機械とは別ベクトルのスキルを磨きたい。

うんうん唸って頭を使ってばかりいると体によくないので、やはり運動は大事!ということで、最近はほぼ1~2日おきに走っています。(…かなり強引に話をつなげてみました)

おやつも大事!(チーズケーキ)

10km走った日もありましたが脚の痛みがなかなかとれず、日によって3~7km前後。もう昼間は暑いので早起きして朝走っているのですが、これが思いのほか気持ちいい。一汗流してから仕事にかかるのも爽快です。気持ち的には毎日走りたいほどなのですが、脚の痛みから察するに筋力がまだまだ足りないようです…。がんばらねば。

思えばマラソン大会なんて大嫌いな子供でした。それが今は山に登ったり、自ら10kmの大会に出たりハーフマラソンに挑戦しようとしたり。なぜ?と聞かれてあらためて考えてみると、きっと子供のころも走ることが嫌いだったわけではなく「走らされること」が嫌いだったのだと思います。順位や成績をつけられることも。

今は、ただ自分のペースで走ればいい。他人とではなく自分のあれこれと戦えばいい。時には、ただ楽しめばいい。それらは、ひたすら清々しいこと。

マラソンって人生に通じる部分があるような気がします。人生というか、生き方かな。そんなことを考えながら、いろいろとマラソン関連の本も読んだりしたのですが、中でも村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」は面白かった。彼の小説はいまだにほとんど読んだことがないのですが、エッセイは結構好きです。たまーに「キザね~!」とツッコむのも楽しい。

特にこの本は、共感するフレーズがたくさんありました。「自分のやりたくないことを、自分のやりたくないときにやらされることに、昔から我慢ならない」なんて、まるで自分が書いたかと錯覚するくらい。走り続けながら書き続けてきた彼の人生観がにじみ出ていて、一気に引き込まれてしまいました。走りたくなることうけあい!オススメです。



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今日は、中国地方最高峰の大山に登る予定でした。4時半起きで集合場所に行ったものの、雷雨の予報で中止…しょんぼり。来月富士山に登ることになったので、訓練がてらぜひ行っておきたかったのだけど、どうしたものかと思案中。

涙の帰途…オスプレーのカイト、36L

 

2 件のコメント:

  1. 天候が悪いのに無理は出来ませんけど、残念でしたね
    いよいよ富士登山とは、スゴ〜イ
    楽しんでがんばってください

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    1. あけみさん、大変な状況の中コメントありがとうございます。遠くから応援していますよ~。早くお元気になられますように。ブログのデザインが少しシックになりましたね!素敵です(^_-)

      富士登山は、自分ではまだまだと思っていたのですが、友人に誘われたのでこの機会に挑戦してみるかー!と決めました。どうなることやらわかりませんが、がんばってみますね。

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