2014年10月29日水曜日

訃報

18年来の親友が他界しました。親友という言葉は軽々しく使いたくないと思っていますが、彼女は親友でした。

古くからブログを読んでくださってた方の中には記憶にある方もいらっしゃると思います。エミオです。報告を兼ねて書いておこうと思いました。

いつも底抜けに明るい、はじけるような笑顔の彼女でした。学生時代から、ケンカもたくさんした。お互い、ハッキリものを言うタイプだったしそこが好きだった。思い切りケンカできる相手なんてそうそういない。お互い長女でA型、わかり合える部分もたくさんあった。心から信頼できて何でも話せる、すごく大切な友人だった。

とても情が深くて優しくて。私が突発性難聴で入院したとき、退院が決まるまで黙っていたらすごい怒られた。「なんでこんなときに言わないのよ!病院教えて!」そして一番に飛んできてくれた。差し入れと可愛いパジャマを持って。今もそのパジャマを着てこれを書いてる。

そんなこと言ってたくせに、自分は病気のことなんて一言も言わず他界してしまった。病気だったことすらみんな知らなかったから、友人一同みな寝耳に水の話で。夜中に鳴った、エミオの番号からの電話。それが旦那さんからの訃報だった。旦那さんの声が聞こえた瞬間いやな予感はしたけど、まさか死など予想もしておらず。「は?」としか言えなかった。

先日、私の誕生日にも連絡をくれたばかりだった。引っ越したから遊びに来てね、と部屋の写真を送ってくれた。今までの家にもほとんど遊びに行ってたから、今回も楽しみにしてたのに。センスのいい彼女らしい、お洒落な部屋。ずらっとお酒が並んだ、お店並みに見事な棚がある。

私が広島に引っ越すときも、2人で飲んでいろんな話をした。震災のことや仕事のこと、ちょっとした悩みやこれからやりたいこと。引っ越す理由をあれこれ詮索しようともせず、ただ住んでみたいという気持ちを「うっちーらしいね」とすんなり理解してくれた。理解はしていなかったかもしれないけど、私の言葉をそのまま受け止めてくれる、それがとても彼女らしかった。そして、いつか遊びに行くね、と言っていた。

心の準備、というものの意味を思い知った。あまりにも何一つ準備がなかったから、現実すら受け入れられない。同期への連絡をまわしながら、なんだか夢の中にいるみたいだった。次の日の朝起きたときには、悪夢のあとみたいに頭が重かった。

葬儀は家族葬とのことだったけど、顔を見なきゃ納得できない。そう思って、福島まで会いに行って来た。そこにいる彼女は全然変わってなくて、眠ってるみたいだった。いっぱい話しかけながら、そのうち返事がありそうな気がした。でもなかった。だんだん現実だとわかってきた。

旦那さんとご家族と、彼女の思い出話をたくさんした。エミオは千葉出身だけど、ある日「今度つきあい始めた人が、なんとうっちーと同じいわき出身なんだよ!」って紹介してくれた。結婚するだいぶ前から仲良しの2人を見ていた。3人で小名浜でご飯を食べたこともある。いつも明るくて笑いが絶えない子だったから、思い出話も愉快なものばかり。アホなこともいっぱいやったなーなんて泣き笑いしていると、また一緒にそんなことできそうな気がしてくる。旦那さんにもご家族にもほんとうにほんとうに愛されていたのが伝わってきて、短すぎた人生だったけど間違いなく幸せだっただろうなと思えた。

帰り際にまた彼女に話しかけた。けどやっぱり返事はなかった。会いにきてよかった、と思った。きっと、会わずにいたらずっと全然納得できなかったと思う。

今もまだまだ受け入れられてないけれど。100万人に1人という難病で、数日の間に容態が急変して逝ってしまったという。なんで彼女なの?なんで?その思いが消えない。つい10日くらい前まで元気に飲み歩いてたのに。38歳。旦那さんやご家族のつらさは計り知れない。

「遅かれ早かれ、みんないずれそっち行くからさ。ゆっくり休んで待っててね」と声をかけながら、初めて死後の世界をすごくリアルに感じた。いつか会える。会いたい。

でも、心残りがありすぎる。引越したと聞いた時、そのうち広島の名産を詰め合わせて送ろうなんて思っていたのに、延び延びになっていた。さっさと送ればよかった。お盆に帰省したとき、ちょうど入れ違いだねーなんて言ってたけど、ちょっと無理してでも会えばよかった。辛かったなら話だって聞いてあげたかった。ほんとに何一つ力になれなかった。

最後に少しでも話したかったな。18年分のありがとうだけでも伝えたかった。

あまりにもたくさんの思い出がありすぎて、彼女とのやりとりをいろいろ見返しているだけで時間が経ってしまう。出会った頃のことも鮮明に覚えてる。大げんかメールは見返して苦笑い。2人とも真っ直ぐで熱くなるタイプだったからねー。あの後、また仲直りのために飲みにいったね。よく2人で飲み会の幹事をやったけど、飲み会の前に落ち合って一足先に飲んじゃったりもしたっけね。お茶しよっかーと言ってたはずが、気づけばビール片手に。お互いに楽しいお酒が大好きだった。

まだ、そこらへんで見下ろしてる気がしてならないんだよね。見てる?エミオ。でも、いるとしたら旦那さんのとこだろうな。ほんとうに仲が良い夫婦だったもの。そのうち私にも会いに来てね。

そうだ。今週末は、大学の同期が広島に集合するのでぜひ来てください。大好きだったお酒用意しておくよ。


命日は10月24日でした。家族葬が31日。遠い広島から祈ります。


エミオ。苦しかった治療、ほんとうによく頑張ったね。そっちで、ゆっくり休んで待っててね。山ほどあるエミオとの思い出は、どれもこれも笑顔であふれてる。ずっとずっと、絶対に忘れない。


 

2 件のコメント:

  1. なんということでしょう
    たくさん楽しいお話を聞かせてもらいました
    聡明で、愛情深く、ユーモアに溢れたステキな女性と思っていました
    ほんとにほんとに残念です
    長く生きるのが幸せとはかぎりませんので、100歳までも生きて欲しいとは思いませんけど、短すぎますね、淋しいです
    うっちーさんには、たまらないことと思います
    ご冥福をお祈りします



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    1. あけみさんは覚えてくださってるだろうなと思っていました。あけみさんのイメージそのままの女性だったと思います。

      もう本当に残念という言葉しか出てきませんが、旦那さんといろいろお話したり、ちょうど大学時代の仲間が広島に来たのでみんなでエミオの思い出話をたくさんできました。いつまでも泣いていたらエミオに怒られそうなので、笑って思い出話できるようになりたいね、と言いながら。このタイミングで思い出を共有できる仲間と再会できてよかったです。

      むこうでも、エミオのことですからきっと笑顔で過ごしていることと思います。コメントありがとうございました。

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